2009-10-14

「永遠の安息を」

昨日、アンサンブル・カペラの演奏を聴きに行く。
カペラのコンサートは、2年ほど前から聴き始め、これで7回目くらいになる。

今回は、滅多に演奏されないオケゲムの曲が入っているので、期待して出かけた。
12日に、同じプログラムで、目黒の聖アンセルモ・カトリック教会での公演があり、昨日は、大久保の淀橋教会・小原記念聖堂での公演だった。
私には、大久保の方が行きやすいので、こちらにしたが、淀橋教会は、今、改築の工事中。
5月に行ったときも、そうだったが、今回も、まだ、工事が終わっておらず、当面のコンサート会場になっている小原記念聖堂は、外の音が、微妙に聞こえたりして、コンサート向きではない。
目黒の方が、宗教音楽には、ふさわしいし、音響も良い。
私は、カペラの定期会員なので、チケットの振替は効くのに、一旦予定を組んでしまったので、そのままにしておいたのだが、やはり目黒にしておけば良かったなと、あとで後悔した。

しかし、そう広くない会場で、、残響があまり無いため、肉声がよく聞こえて、むしろ良い面もあった。
定期会員用に、最前列の席が確保してあり、そこに坐ったが、同じ平面のフロアでの演奏なので、歌手との距離が3メートルと離れていない。
目と耳の弱くなっている身にも、いささか近すぎて、緊張してしまい、精神的に疲れてしまったので、次回、ここで音楽を聴く機会があるなら、やはり、3列目から後ろにした方が良さそうだ。

演奏はカペラ独特の、計量記譜法で書かれた楽譜を、厚い紙に大きくコピーして、デッサン用の台のような物に立てかけて、みんなでそれを見ながら歌うやり方。
楽器の入らない完璧のアカペラ。
このアンサンブルのハーモニーにも、慣れてきたが、メンバーが、少し入れ替わったようだ。
ソプラノパートに、上杉清仁が加わった。

ヴォーカル・アンサンブル カペラ定期公演
「永遠の安息を~死者のための祈りの歌」
10月13日(火) 午後3時開演 淀橋教会・小原記念聖堂
演奏:ヴォーカル・アンサンブル カペラ
superius :  上杉清仁 花井尚美 本保尚子
contratenor:青木洋也 望月寛之
tenor:    根岸一郎 及川豊
bassus:   小笠原美敬 花井哲郎(音楽監督)
 
プログラム;死者のためのミサ「レクイエム」
前半:ヨハンネス・オケゲム
 入祭唱「永遠の安息を」
 キリエ
 集祷
 使徒書朗読
 昇階唱「たとえ死の陰のただなかを歩むとも」
 詠唱「鹿が水の泉を」
 福音書朗読
 奉献唱「主イエス・キリスト」

後半:ピエール・ド・ラ・リュー
 叙唱、サンクトゥス、主の祈り、アニュス・デイ
 整体拝領唱「永遠の光が」
 整体拝領祈願、終祭唱
 グレゴリオ聖歌「めでたし天の后」 

ギヨーム・デュファイ「めでたし天の后」(四声)
グレゴリオ聖歌 入祭唱「永遠の安息を」

ジョスカン・デ・プレ
 オケゲムの死を悼む挽歌「森のニンフ」

グレゴリオ聖歌「アヴェ・マリア」

ジョスカン・デ・プレ「主の祈り/アヴェ・マリア」

演奏前に、花井哲郎の解説があった。
会場は満員。
演奏者は、全員黒の上下に身を包み、繊細な表現力を持つ美しい声で、神への祈りを奏でる。
目をつぶると、意識が、ふっと体から離脱するような感じに囚われる。
時々、プログラムノートの対訳を読んだりしたが、一度、床に落としてヒヤリとする。
最前列、沈黙の瞬間でなくて幸いだった。
演奏が終わり、外に出ると、もう日が落ちかかっていた。/

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2009-10-13

カラヤンと金木犀

たまたま、SNSの「友だち」のブログにあった、フィッシャー・ディースカウの動画を見るついでに、あちこち覗いていたら、カラヤンの第九を見つけた。
画面を大きくすると、結構迫力があるし、次々見ていくと、全曲聴けそうである。
いつ頃の演奏か分からないが・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=O2AEaQJuKDY

きのうは連休最後の日、スーパーはいつになく混んでいた。
秋の行楽シーズンで、あちこち出かけた人たちが帰ってきたのだろう。

庭の金木犀が満開である。
大きな金木犀で、出入りの庭師に、市内5本の指に入ると言われたことがあった。
昔住んでいた人が、どこからか貰って移植したらしく、樹齢がどのくらいになるのか分からない。
庭木には、いささか大きすぎるが、この時期、雨戸を開けると、ぷーんと良い匂いがして、家の中にも漂ってくるので、それがなんとも言えない。
夫の母は、この香りが好きだったが、ちょうど金木犀が咲き始める頃に、亡くなった。

ところが、この数年、花は咲くのに、全く香りがしなくなった。
私の住む市は、東京西部。
金木犀は街中にも、よく見かける。
今の季節、外に出ると、どこからともなく、良い匂いがして、遠くからでも分かる位なのに、私の家だけでなく、市内の金木犀が、全部、香りがしなくなったらしい。

オカシイね、公害かねと不思議に思っていたのだが、最近になって夫が、「金木犀が匂わなくなったのじゃなくて、我々の鼻が、利かなくなったんじゃない?老化現象だよ」と言い出した。
まさか、そんなはず無いわよ、二人一緒にハナが悪くなったの?、通年花粉症のアナタはともかく、少なくとも私は、嗅覚は自信有るんだけどと、私は納得しがたいが、いつも、金木犀の花が散った後に、庭師が来ることになっている。
散った後でも、そのくらいのことは、分かるだろう。
訊いてみようと思う。

もし、夫の言う通りだとすると、ガス漏れしても気づかずに、二人ともあの世行きじゃない?

(追記)SNSの日記に書いたら、関西在住の「友だち」(ただしアンチ・カラヤンだそうだが・・・)のコメントがあり、やはり今年はその地域でも、香りがしないという。
・・「温暖化のせいか、何か金木犀の流行り病でもあるのか、人間どもの行状にホトホト愛想の尽きた金木犀のストライキか何かか」と書いていた。
樹には神様が宿るという考え方もある。
頷ける話である。

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2009-10-11

福音史家は語る「ヨハネ受難曲」

連休初日、バッハ「ヨハネ受難曲」を聴きに行く。

混声合唱団「クール・ド・シャンブル」第7回定期演奏会
09年10月10日(土):18時開演
府中の森芸術劇場:ウイーンホール
J.S.バッハ:「ヨハネ受難曲」 BWV245
*指揮:小泉明子
*演奏
 ソリスト:水越 啓(T)(福音史家&テノール・ソロ)
      渡辺祐介(B)(イエス&バス・ソロ)
      小笠原美敬(B)(ピラト)
      上杉清仁(A/CT)
      星川美保子(S)  ほか
 古楽器オーケストラ:川原千真(ヴァイオリン/ヴィオラ・ダモーレ)ほか
   合唱:混声合唱団「クール・ド・シャンブル」

6時開演を6時半と思いこみ、充分余裕を見て行ったつもりが、着いたのは開演15分前だった。
また、午前中には、市内の駅前大学で「ラテン語」の講座一回目があったのに、失念してしまった。
だんだん、こんな事が多くなる。
それは兎も角・・・・。

入り口で渡されたプログラムノートは、余計な装飾のないシンプルな作りだったが、指揮者のこだわりが充分につまった、中身の濃い物。
コンサートの概要、出演者の紹介のほかに、「ヨハネ受難曲」の対訳が載っており、解説も懇切を極めている。
一緒に聴いた友人は、自分もその内歌ってみたい曲なので、これは演奏する人にとって、宝物だと言った。
ソリストは、古楽界一流の、比較的若い歌い手達を揃えている。
楽器アンサンブルも、古楽器専門の演奏家達が、名を連ねている。

受難曲は、エヴァンゲリストの役割が、特に大きいが、この日の演奏者である水越啓(テノール)は、ベテラン揃いのソリストの中でも、ひときわ素晴らしく、声の美しさと表現力で、演奏全体を引き締める役割を果たし、それだけでも、チケットの料金を上回るほどの値打ちがあった。
休憩時間で、知り合いの人たちと話したが、みな、ソリスト、特にエヴァンゲリストを絶賛していた。
芸大博士課程を経て、オランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学、現在もそこで研鑽を積みながら、オランダ始め、ヨーロッパで活躍している。
現在、日本に帰国中で、昨日の演奏会のほかに、いくつかのコンサートをこなしている。
この人を得たことで、昨日の受難曲の半分は、成功したと言っていい。
35歳という若さだから、今後の活躍が期待できる。
初めて聴いた水越啓。以後注目したい。
今月20日にも、「ブロッケス受難曲」という、日本初演のコンサートで、エヴァンゲリストとして、昨日のバッハで共演した上杉清仁(私はこの人のファンでもある)、イエス役渡辺祐介ともに、出演することになっている。
(10月20日19時開演:武蔵野市民文化会館小ホール)

演奏は、最初はかなりゆっくりのテンポで始まり、次第に昂揚していき、14曲目のコラールが終わって一旦休憩。
第2部は、小笠原美敬のピラトが加わり、ドラマチックな展開になってくる。
エヴァンゲリスト、ピラトとイエス、群衆(合唱)との激しい遣り取りが加わり、次第に受難の場に近づいていくが、リズムの難しい箇所である。
通常の練習は、合唱部分だけで何か月も掛け、本番前に集中して、オケ合わせとソロが入るのだろうが、細かな難はあったものの、合唱も、よく歌えていたと思う。
終章に至り、合唱団の大きなコラールで終わる。
イエスの受難に立ち会ったような気持ちになり、涙が出てしまった。

字幕が無く、代わりに、読みやすい大きめの活字の対訳がノートに入っていて、客席も照明を少し落とすくらいの配慮をしていたが、逆に、対訳のページをめくる音が、結構がさがさ響いたのは、惜しい。
これは、歌曲のコンサートでも、時に見られる現象である。
聴く人が、もう少し気を付ければ済む話ではあるが、受難曲やオペラは、やはり字幕を付けるべきだろう。
客席は暗くてもいいのだから、演奏中は、舞台に集中し、対訳は、休憩時間や後で読むように、徹した方がいいと思う。
ただ、会場には、字幕設備のないところが多いし、あっても、かなり費用と人手もいると言うから、昨日の演奏も、難しかったのかも知れない。

古楽器のオーケストラも、何度か聴いているので、慣れてきた。
昨日の演奏では、チェロが良かった。
昨年、別の合唱団の「ヨハネ」を聴いたが、あまり印象に残っていない。
受難曲の演奏は、合唱は声が揃って、破綻なく、きれいに歌えていればいいが、やはり、エヴァンゲリスト始め、ソロとオーケストラが重要である。
昨日は、その意味で、いい演奏会だった。

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2009-10-05

平成の芝居「組曲 虐殺」

今日は久しぶりに音楽でなく、こまつ座の芝居を見に行く。

「組曲虐殺」 こまつ座&ホリプロ公演
 作:井上ひさし
演出:栗山民也
音楽:小曽根真(演奏共)
09年10月5日午後1時半開演:天王洲銀河劇場

<出演>
井上芳雄 :小林多喜二
石原さとみ:多喜二の恋人、滝子
山本龍二 :特高刑事
山崎一  :特高刑事
神野三鈴 :多喜二の同志、ふじ子
高畑淳子 :多喜二の姉

主催:こまつ座・ホリプロ・テレビ朝日・銀河劇場
http://www.komatsuza.co.jp/contents/performance/index.html

29歳と4ヶ月で、国家の手で虐殺された作家、小林多喜二の生と死を描く。
歌で始まり、歌で終わるひさし流。
今回は、台本の完成が、開幕ギリギリだった(ひさし芝居では珍しいことではないー座長は気が揉めるだろう)という話もあり、公演3日目の今日も、芝居の完成度は、今ひとつだった。

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2009-10-01

アンネ・フランク 生前の映像

心の震えるような映像を目にしたので、触れたくなった。

二階から笑顔を向けている少女は、アンネ・フランク。
12歳の時で、これが生前唯一の映像だとのこと。

[共同通信:10月1日 10時29分ニュース] より。

生前のアンネ、動画で登場 オランダ博物館がネットで公開
【ブリュッセル共同】「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクを写した唯一の生前の映像が30日、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」に登場した。オランダ・アムステルダムの「アンネ・フランクの家」博物館による公式映像。
1941年7月、隣人の結婚式の際に撮影された映像は、アパートの窓から顔をのぞかせるアンネの姿を数秒間とらえている。

     http://www.youtube.com/watch?v=4hvtXuO5GzU

アンネは1929年6月生れだから、このときは、12歳になったばかり。
何の屈託もない、笑顔が、やがて「日記」に綴られる悲劇に移行するのは、それから1年後。
そして、2年間の「隠れ家」生活。
この間の記述が、後に「アンネの日記」として世界中に読まれることになったのは、よく知られた事実である。
1944年夏、ナチスの秘密警察に捕らえられ、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、翌年の3月、15歳の生涯を終える。
イギリス軍によって、収容所が解放される一月前のことだった。

「隠れ家」に残されたアンネの日記が、公開されたのは、第二次世界大戦終結後、数年を経てのこと。
「隠れ家」の住人のうち、ただひとり、強制収容所から生還したアンネの父親によって、出版された。
日本では、昭和27年、文芸春秋社から、皆藤幸蔵訳で、初めて出されたが、「光ほのかに」というタイトルで、これはオランダ語→英語からの二重訳だったと思う。
出版されるや、たちまちベストセラーになり、その後、ほかの訳者の改訳や、アンネの短編なども、加えられた「完全版」も出て、今に至るまで、読み継がれている。

私は、初版の皆藤幸蔵訳(家にあるはずだが、大事にしまいすぎて出て来ない)を、出版されてすぐ読んだが、アンネと同じ年頃の13歳。
大変な衝撃を受けた。
昼間から息を潜めるような、隠れ家の生活の中で、この少女は、何と生き生きと、豊かな感受性をもって、ものを見、感じ、考え、心の内を綴っていたのかと・・・。
家族との日常や、同居の隣人達との交流を通しての人間観察。
限られた情報の中で、読み取る世の中の動き。
そして、ペーター少年との恋。
それらが、文面から熱く立ちのぼってくる。
終わりの方に、人間を信じるというようなことが書いてあり、しかし現実には、その言葉を裏切るような人生の結末に遭遇するが、彼女は、多分、死ぬ瞬間まで、人間を信じていたのではないだろうか。

オランダ・アムステルダムの博物館が、今回公開した動画を見ると、わずか20秒ほどの映像の中に、「日記」の少女が、紛れもなく、生きて、存在していたのだと言うことが、ひとつのメッセージのように、胸に迫ってくる。

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